今日は昔から考えていた「ライフスタイル(生き方)」について、私が思うことを書き留めておこうと思います。
あくまでも私自身のことを交えながら、私が個人的に考えていることを書いているので、ここに綴った全てが正しいというわけではないと思います。
しかしこの記事を参考にして、今まで縛られていたものから解放されたり、肩の荷が下りたりする方がいらしたら幸いです。
「生きていく」ということを考えた時に、私たちの多くは「働き方」について考えさせられます。
今でこそ「働き方改革」という言葉が知られていますが、私はもっともっと、働き方(さらに大きく言えば「生き方」)は今までの常識の枠をはみ出していっていいのではないかと思っています。
何か1つのことに特化する生き方もいいし、複数のことを掛け持ちしてもいいし、正社員じゃなくてもその時々で自分のペースに合わせた働き方をしてもいい。パートでもいいし、アルバイトと何か他に収入源があってもいい。さらにはどんな性別の人であれ、家事が得意で家族をサポートするのが好きなら、家庭を支えるという道も立派な生き方の1つです。体力的・精神的に自分の生きるペースをゆっくりにしたいと思ったら、休むことを選択するのも賢い生き方だと思います。
もちろん今の社会の制度のことも含めて考えると、まだまだ多様な働き方・生き方をしにくい世の中ではあります。
それでもすこしずつ、私たちひとりひとりが自分の生き方をつくっていけたら、最終的に「生きやすさ」とか「自己有用感」とか「幸せ」につながるはずです。
そして「働き方」や「生き方」を考える時に、自分にできること・できないことの2つを認めてあげることは欠かせません。
ここまで例として「働き方」について取り上げてみましたが、今の常識だと働くこととは「労働の対価としてお金を受け取ること」となっています。
しかし、そもそも「稼ぐこと、あるいはお金を生み出すこと」が不得意な人がいるのも事実だと私は感じています。
誰にでも得意不得意があるように、「稼ぐことが不得意」という場合もあると思います。たとえば私自身がそうなんじゃないかなと思います。稼ぐことが嫌い、というわけではありません。
労働をしてお金が自分のもとに入ってくると嬉しいし、好きな服を買ったり、たまにはどこか出かけたり、パートナーにプレゼントを贈ったりするのが好きです。
人間として生きる喜びを感じられる程度には、お金は必要であると思っています。
しかし、ただ単に自分が「稼ぐこと」に関して不器用であるのは確かだと感じています。
走ることが不得意であるのと同じように、稼ぐことが不得意だということ。
もちろん色んな助けや自分自身の工夫で、ささやかに生活していけるくらいになりましたが、おそらく周囲よりは稼ぐことが不得意なのだと思います。
自分のペースを大切に生きていたいし、目の前のことにじっくり取り組むことが好きだから。
その代わり、「多くの人のような働き方・稼ぎ方ができないのなら、自分にできることもあるはずだ」と私は考えました。
私は高校生の頃、うすうすと「たぶん自分は戦後・高度経済成長期以降日本で常識とされてきた働き方はできないだろうな。でも自分にはもっと合う生き方があるのだろう」と思いました。
会社に勤めることよりも、たとえば自然が豊かな場所で農業をするという選択肢がある。
何か自分で作ってそれを売り物にして小さなお店を持つのもいい。
もっと究極的には「仏教の尼さんやキリスト教の修道女(シスター)になる道もあるなぁ」と高校生の頃の私は思っていました。
ちょうど私の高校はキリスト教(カトリック)の学校だったので、シスターがとても身近な存在でした。
生きる知恵について考えたり、心のことを考えるのは好きだったので、そういった生き方もいいのかもしれないと思っていたのです。(結局、自分はもっとわがままに生きたいと思って、尼さんやシスターのような道は選びませんでしたが!)
そして大学の時「働くこと」について悩んでいた時、お世話になっていた先生から言われました。
「人間にとって大事なのは、その人がその人にできる活動をすることだと思いますよ。働くことだけが人間の価値を決めてしまったら、どうなりますか?たとえば病気で働けなくても、生きている限りその人に与えられた役割は必ずあります。私だって先生をしていますが、働いているとは思っていません。ただ、自分の活動をして生きているだけですよ」と。
この言葉を聞いてから、私は「生きる」という活動自体にもっと目を向けるようになりました。人間存在の意義、自分が存在していること・自分以外の人が存在していることの意義から根本的に考えるようになりました。
今はライターの仕事を受けていますが、「生きる」という活動の視点から考えれば、この働き方にも縛られる必要は無いと考えています。
今やっていることを続けていくうちに、もっと自分が無理をせずに、楽しみながら生きる方法はいくらでも出てくると思うから。
ライフスタイル(生き方)はもっと、自由でいい。
とにかく自分が生きやすく生きていける方法を選べていけたら正解です。
そんな社会になることを願っているし、私は個人としてそんな生き方ができる世界になるように、まずは自分の生き方を大切にしていきたいと思っています。
「求めよ、さらば与えられん(もとめなさい、そうすれば与えられる)」という言葉があるとおり、「自分の人生を豊かに思える生き方をしよう」と思って求めたら、必ず見つかる。
それがこの世の仕組みです。
「生きやすさ」や「幸せ」を感じられる人生をつくっていけたらいい。ただひたすらに、そう考えています。
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